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2006.07.15 My Favorite Place

最近お気に入りの場所がある。
それは子どもを放牧できるCAFE。

店内は広く、インターネットもでき、DJブースやドラムセットなど=も置いてあるくらいの大きいCAFEで、その一角にKid's Placeがあるのだ。

しかも、そこを利用する際の使用料はただ。
私たちママにはふところにとっても優しい感じのCAFEである。

同じお教室に通うお母ちゃんがこんな場所がある、という情報をGetしてきて、場所自体もお教室のすぐ近く。


1ヶ月ほど前からお教室が終わってから、まだまだ体力が有り余っている子ども達をこの場所に連れてきて、遊ばせている、というわけ。

2




















昨日はひさびさにマリ&みおんペアに会って、ランチを食べたあとにここに寄ってみた。
みおんはルナより3ヶ月おねえちゃんで、それはそれは可愛い子。
マリさんも来月末には第2子出産予定。大きいお腹をユッサユッサ揺らしながらの久々の再会。
仕事をしている彼女とはそんなに頻繁に会えないので、こうやって久々に会うと、話が途切れる、ということがないくらいガンガン話しまくる・・・・・。

ランチを食べた後、その例のCAFEに行ってからも延々と・・・・・・・・・・。
夕方になり、お互いのパパの帰りが今日は遅い、ということが判明し、それならウチでお弁当でも買ってきて食べましょう!ということに。


ルナもみおんもお互い絶えず喧嘩をしながらも一緒に楽しそうに遊んでいる。


もちろん私たちの話題は「子育て」。

それに尽きる。

ルナのこともみおんのことも、産まれたその日から知っているような間柄なので、お互いの子どもの悩みなんかも、自分の子どものように真剣になれる。

しかも彼女は今お腹の中にもう一人の命を育んでいて、いろんな意味でSensitiveになっていた。
それはそれは痛々しいくらいに。

娘との距離が上手く掴めないママ。
何に対しても一回で言う事を聞かない娘に対し、イライラするしかないママ。

彼女の抱えている悩み、そのどれをとってみても、私が抱えている悩みとそう大差はない。

母親ならば誰でも通るであろう、大きな壁。
自分の子どもなのに、生まれてから今までの何百日と一緒に生きているはずなのに、どう接していいか分からなくなる瞬間。

他人から見ればそれは成長の一端であるはずなのに、近くにいすぎるが故にそれが成長であるとも気付かず、子どもの動向にただただとまどい、胸を痛めてしまう日々。

そして、もうすぐこの世に誕生する新たな命との間で困惑してしまう気持ち。
痛いほどによく分かる。

最近の私も、たまにここでぶちまけているが、ルナとの距離に悩む日々が続いていた。

ただ、先週パパとのいざこざがあって以来、逆にルナに対して優しくなろう、というかルナに対しての私の気持ちが変わってきた。

理由は自分でも分からない。パパとの関係が少しぎくしゃくしたせいで、自分の中の愛情のベクトルがその分ルナに向いたのだろうか?

「寂しさ」みたいな気持ちがルナに優しくなることで、忘れ去られていく、とでも思ったのだろうか?
本当の理由は自分でも全然分からない。ただ、私という人間は元来そういう人間。

脳で考えて行動するというより、「感情」、こころが先に動いてしまう。結果がよければそれで構わない。実際、いま現在私はルナと非常にいい関係を保っている。
それでいいのだ。

それにしても、「子育て」は十人十色である、とつくづく思う。
だから、どれが正しいとも断言できない。私たち母親は暗闇の中であるにもかかわらず、目隠しをされたままの状態で、歩いているようなものなのだ。
しかも一人一人のステージも異なっている。
ステージがそれぞれ異なる為、攻略法を他人に教えても意味がない。
まさに手探り状態、自分自身の力で進んでいかなければいけないのだ。

壁にぶつかりながら、傷を負いながら、子どもと共にボロボロになりながらゴールを目指す。
ゴールの先には、それぞれの親が思い描いた我が子の姿、というものがあるのだろうが、実際そう簡単にいかないのがこの「子育て」だ。
そもそも“ゴール”などというものは存在しないのが「子育て」なのだろうから......


だから親は本気で悩み、苦しみ、わずかな光を信じて歩もうとするのだ。

可愛い可愛いと育てられるのも生後1年くらいまで。それからは「しつけ」という、これまた親には厳しい難題が待ち受けている。これから先社会に順応しうるだけの価値観を我が子にほどこしていかねばならず、それはまた親たちが社会から評価される場でもある。


自分の今まで持っていた価値観が本当に社会で通用するのか、もちろんこれにも決まった答えがあるわけではない。
ここアメリカでは人種も違えば宗教も違う、それによって生まれる価値観ももちろん違う人たちが、寄せ鍋状態になっている国がここアメリカだ。

日本人同士通用することも、アメリカ人には通用せず、またその逆もしかり。


さまざまな壁にぶつかりながら、一歩一歩、ゆっくりゆっくり子どもと共に歩んでゆく、それが「子育て」。
もがいている時は、中途半端に外に出ようとしないで、1度底まで落ちてみるのもいいのかもしれない。
どん底から見える地上は想像していたものと違って見えるかもしれないし、そこからまた這い上がってくることで親としての自信をもう一度取り戻せるのかもしれない。
みんながみんな、自分の「子育て」に不安を抱いている。だからたまには自分の悩みなんかを同じ子をもつ親に聞いてもらうだけで、少しホッとしたりするのだ。なぁんだか、何を言いたいのか、イマイチ分からなくなってきてしまった・・・・・・


でもこういう風に、たまには自分の「子育て」と真正面からぶつかってみるのもいいのかも。今まで見えなかった“何か”が見えてくるかもしれないし。







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